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初邦訳?:ハワイの物語(リリウオカラニ)
translation to Japanese: "Hawaii's Story by Hawaii's Queen" (Liliuokalani)

内容リンクと要約
章範囲 リンク 要約
1-9 対訳
原文, 和訳
著者であるリリウオカラニが生まれた頃(1838年)から、カメハメハ4、5世、ルナリロ、を経て、カラカウア治世で著者が王嗣に就く(1877年)頃まで。王族専用の寄宿学校は意外と貧しかった?音楽は得意だったみたい。遠足など若い日のこと。結婚と夫の思い出。王嗣就任時の混乱と国民からの歓迎。
10-18 対訳
原文, 和訳
カラカウア治世下の1886年頃まで - アメリカ訪問(1878)、ハワイ島旅行(1880)、カラカウアの世界旅行とその期間のハワイ島旅行とオアフ島内旅行(1881)、戴冠式(1883)。
19-28 対訳
原文, 和訳
1887年6月にビクトリア女王の在位 50 年を記念するゴールデン・ジュビリー(聖年)があり、カピオラニ王妃と著者がロンドンに出向く。 しかし、その間に、カラカウア王が武力により新憲法に署名を与儀なくされる事態が生じ、急遽帰国する。
29-37 対訳
原文, 和訳
批准はされないとは言え署名してしまった憲法草案は、実質的に王をお飾りとするものであった。無力感の中、カラカウア王は何らかの交渉のため渡米するが、行った先で持病により死亡し、遺体で帰る。著者が即位する。
38-46 対訳
原文, 和訳
即位(1891年)してからは、憲法を整備すべき要求が各立場からなされる。武力に訴える臨時政府の反乱により実質的政権を奪われて(1893年)から、逮捕され、裁判を受ける(1895年)頃までのこと。
47-57 対訳
原文, 和訳
拘束から解放され、旅行も許されるようになる。しかし、国は米国に吸収されたままになってしまうのだろうか? 数の上で小数派になってしまった原住民の自由は保たれるのだろうか? 外国人だけで武力蜂起した政権奪取を「革命」と称した上、米国と併合条約を結ぼうとするなど、プロセスにおいて腑に落ちないものがあり、米大統領と面会、自身が見て来た状況を訴える。
付録A-D 対訳
原文, 和訳
新聞記事、米国大臣に宛てた声明(大統領への書簡含む)、その他文書、「ハワイ共和国」と米国との条約本文
付録E-G 原文 詳細系図(訳者調製)    略系図(訳者調製)