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1

フィリアス・フォッグとパスパルトウが、一方は主人、他方は使用人として、互いを受け入れる件


(訳者要約: 1872年、イギリスの金持ちであったフィリアス・フォッグ氏は、体育会系のフランス人パスパルトウを新たに雇う)

1872年のこと、 バーリングトン・ガーデンズのサヴィル・ロー街7番地の屋敷 - そこは1814年にシェリダンが死んだ(訳註:実は1816年のようだが)ところだが - には、フイリアス・フォッグ卿という人物が住んでいた。 この人はかなり風変りな人で、 ロンドンにおける改革クラブの一員として知られていたが、 世間の注目を引くことは何もすまいと、気を使っているように見えた。

イギリスに名誉を与えた最も偉大な雄弁家のひとり(訳註:シェリダンのこと)の後継者である このフイリアス・フォッグは謎の多い人で、 イギリスの上流社会でも最も立派な紳士の一人だということ以外は、世間からは何も知られていないのだった。

人は彼をバイロンに似ていると言っていた - もっとも、それは顔だけで、足が悪いわけではなかった(訳註:バイロンは足が悪かった?) - が、このバイロンは口ひげと頰ひげをはやし、 無表情で、老いることなく千年も生きてきたと思われるようなバイロンだった。

イギリス人ではあっても、 フィリアス・フォッグはロンドン子でなかったかも知れない。 彼の姿は株式取引所にも、銀行にも、またシティのどんな商社の店にも見られなかった。 ロンドンのどこのドックにも、船主フィリアス・フォッグ名の船が入ることがなかったし、この紳士はどこの役所へも姿を見せなかった。 彼の名は弁護士の学校でも、寺院でも、リンカーンズ・インやグレーズ・インでも聞いたことがなかった。 彼は高等法院でも、国立銀行でも、大蔵省でも、宗教裁判所でも、一度も弁論をしたことがなかった。 彼は工業家でも、実業家でも、商人でも、農業家でもなかった。 彼は大ブリテン国立大学にも、ロンドン大学にも、技術専門学校にも、ラッセル大学にも、西部学芸大学にも、法科大学にも、国王陛下の保護のもとにある科学芸術学院にも加わっていなかった。 最後になるが、彼は、 アルモニカ協会から、 主として有害な昆虫の絶滅を目的に設立された昆虫研究所に至るまで、このイギリスの首都にひしめいている数しれない団体の何れにも加入していなかった

フィリアス・フォッグは改革クラブの一員である、それが全てだった。

彼のような不可解な紳士がこの名誉ある団体のメンバーであることに驚く人には、 彼が口座を持つベアリング兄弟銀行の紹介によって承認されたことを答えれば十分だろう。 これは、振り出した手形が常に黒字である彼の当座預金から一覧払いできちんと支払われている実績によるのだ。

このフィリアス・フォッグは金持だっただろうか。 それは間違いないことだった。 しかし、彼がどうやって財産をつくったかは、 最も良く知っている人達でも返答できることでなく、 最後はフォッグ氏自身に聞くしかなかった。 とにかく、彼は全く浪費家ではなかったが、さりとて守銭奴でもなかった。 というのも、とにかく、何か高尚なことや有益なことや、または慈善を必要とすることに助力が必要だった場合には、 彼は無言で、時には名を隠して、支援したからだ。

要するに、この紳士以上に自分を語りたがらない者はない。 可能な限りものを言うまいとしていたので、静かである分、一層不可解な人物に見えた。 彼の生活は今風ではあっても、 いつも数学的に同じことをやっており、 人が興味を持ったところでがっかりするようなものだった。

彼は旅行をしたことがあるだろうか? 多分そうであろう。 なぜなら彼ほど世界の地理を良く知っている者はなかったからだ。 どんなに遠い辺鄙なところでも、彼が特別の知識をもっているように見えないところは、ひとつもなかった。 ときどき、失踪したり行方不明になった旅行者について、クラブで噂されたとき、彼は短いが明瞭な言葉で、可能性を示唆した。 そして、いかにも真実らしい判断をしたが、 その言葉はまるで第六感で見通しているようであり、 多くの事件の結果は、それを検証するものとなった。 彼はあらゆる所を旅行した男に違いなかった - 少なくとも頭の中では。

しかし、確かなのは、もう何年も、フィリアス・フォッグはロンドンを離れていないことだった。 他の人より少し詳しく彼を知り得た人びとは、 毎日自宅からクラブへ通う道以外では彼を見かけたと誰も主張できないことを証言した。 彼のただひとつのひまつぶしは、新聞を読み、ホイストをすることだけだった。 彼の性質にはうってつけの、この静かなトランプ遊びで、 彼はしばしば金を儲けたが、 その上がりはけっして彼のポケットへ収められず、 かなりの金額が慈善事業の予算にくりこまれた。 さらに、特筆すべきこととして、フォッグ氏は金儲けのためでなく、明らかに遊びのために遊んでいた。 遊びは彼にとっては戦いであり、困難への挑戦だった それは、体を動かしたり移動する必要がなく、疲労を伴わない挑戦だったので、 彼の性格に合っていた。

フィリアス・フォッグには妻や子がないようであり - これは誠実な人びとにもよくあることだが - また親類も友人もなさそうだった - これは実際にはきわめてまれなことだ。 フィリアス・フォッグはただひとりサヴィル・ローの屋敷に住んでいて、そこへは誰も入ることはなかった。 だから、彼の家内事情については、誰も問題にしなかった。 彼はただひとりの使用人で十分にこと足りていた。 いつもクラブで、きっちり決まった時刻に、同じ部屋の同じテーブルで食事をとり、 決して同僚におごることもせず、外来の客をもてなすこともなく、 決まった時刻にきちんと寝にかえる以外は帰宅することなく、 改革クラブの会員なら自由に使えた気持のよい部屋を使うこともぜんぜんなかった。 こうして、一日24時間のうち、彼が屋敷で過ごすのは10時間だけだったが、 彼はこの10時間を、あるいは睡眠に、また身づくろいに使った。 散歩をすることがあったが、いつも決まって、整然と歩調をととのえ、嵌木の床をはった玄関の部屋か、円形のギャラリーを歩くのだった(訳註: 場所は不明だがクラブのことか?)。 この空間は、赤斑岩でできたイオニア式の20本の円柱に支えられ青ガラスをはめた円屋根で覆われていた。 彼が夕食や昼食を摂るときには、クラブの炊事場や食品室や配膳室や魚調理室やミルク調理室が総動員され、その滋味ゆたかな貯蔵品を彼の食卓に供給した。 厳かな黒服の、メルトン底の靴をはいたクラブの使用人達が、 その料理を特製の陶製の器にもって、サクソニア製のすばらしいテーブル掛けの上に運んだ。 彼が飲むシェリー酒やポルト酒、または桂皮、ハコネソウ、肉桂などをまぜた白ワインが注がれるのは、ロストモールド(訳註:ロストワックス法の意か?)で作られたクラブのクリスタルガラス器であった。 最後に、この飲物を十分な冷却状態にするために使われるのは、クラブの氷、アメリ力の湖水から届いた氷が使われた。

このような生き方を変わっていると言うなら、変わっているのも悪くないと納得せざるを得ない。

サヴィル・ローの屋敷は豪勢とは言えないまでも、非常に快適なのでお勧めだった。 それに、主人の生活が規律正しいものだったので、 使用人の仕事も少なかった。 しかし、フィリアス・フォッグはただひとりの使用人に対して、正確性、異常な規則性を要求した。 その日も、10月2日であるが、フィリアス・フォッグはジェームズ・フォースターという使用人を解雇した。 その下男は、ひげ剃りの湯は華氏の86度と決めてあったのに、84度のをもってくるという罪を犯したのであり、 彼は11時から11時半の間に来ることになっている、代りの男を待っていた。

フィリアス・フォッグは、 行進する兵隊のように両足を揃えて肘掛椅子にきちんと座り、両手を膝にのせ、体を起こし、頭を立て、 時間と分と秒は無論のこと、日と月と年までも示す複雑な時計の針が進のを見ていた。 やがて11時半が鳴ると、 フォッグ氏は、毎日の習慣に従えば家を出て改革クラブへ行かなくてはならない。

そのとき、フィリアス・フォッグの座っていた小さな客間をノックする者があった。

解雇されたジェームズ・フォースターがはいってきて、

「新しい使用人がまいりました」と言った。

その後ろから、30歳ばかりの若者があらわれて、お辞儀をした。

「おまえはフランス人で、ジョンという名前だったな?」 と、フォッグ氏が訊いた。

- 「どうでも良いことではありますが、ジャンと申します、旦那さま。」と、新参の男が答えた、 「通称ジャン・パスパルトウ(訳註: パスパルトウ = マスターキー)と申し、わたしの生来の性質を語るものとして、こういう仇名がついたのです。 わたしは自分ではまじめな男だと思っております、旦那さま。率直に申しますと、いろいろな仕事をやってまいりました。 艶歌師もやり、サーカスの軽業師もやりました。 そして、レオ夕ードのように跳ねまわったり、ブロンダンのように綱渡りもしました。 それから、自分の才能をもっと有効につかうために、体操の教師になり、最後に、パリの消防士になりました。 わたしの功科表には、有名な火事のときの功績がのこらず書きこまれてあります。 それから、5年前にフランスを離れましたが、落ち着いた家庭の生活に浸りたいと思い、イギリス家庭の使用人になりました。 ところが、たまたま職がなかった折り、フィリアス・フォッグさまがイギリスじゅうでもいちばん几帳面で、暮らし向きの落ち着いた方だと伺いましたので、 旦那様のところにお目にかかりにまいりましたのも、静かに暮らせるという期待で、この際パスパルトウという仇名も...」

- 「パスパルトウという名前は良いと思う。 おまえについては人の紹介もあり、いい噂もいろいろ聞いている。 こっちの条件は知っているんだろうね。」

- 「はい旦那さま。」

- 「よろしい。ところで、いま何時かな。」

- 「11時22分です」 と、パスパルトウはポケットの深くから大きな銀の時計を引き出して答えた。

- 「おまえの時計は遅れているぞ。」 と、フォッグ氏がいった。

- 「失礼ですが、そんなはずはありません。」

- 「いや、4分遅れている。」 だが、それはどうでもいい。 4分の遅れを確認しておけばいいのだ。 では、今から、つまり1872年10月2日水曜日の午前11時29分から、おまえは私の使用人となったのだ。」

こう言うとフィリアス・フォッグは立ちあがり、 左手で帽子を取って、 自動人形の動作で頭へのせると、 一言もつけ加えずに出て行った。

パスパルトウはやがて街路へ出るドアの閉まる一回目の音をきいた。 彼の新しい主人が出て行ったのだ。 が、まもなく、またドアの閉まる二度目の音がした。 前任者のジェームズ・フォースターが出て行ったのだ。

パスパルトウはサヴィル・ローの屋敷にひとり残された。


2

パスパルトウがついに理想の主人を見つけたと確信する点


(訳者要約: 使用人パスパルトウの来歴など)

「いやはや、」と、パスパルトウははじめ少しあっけにとられ、呟いた、 「タッソー夫人のところで、今度の主人と同じようにきびきびした人達を見たことがあったっけ!」

ここでタッソー夫人の「人達」というのは、ロンドンの名物になっている蠟人形で、 口(をきかない点)以外は、欠けるところは確かにないものだった。

フィリアス・フォッグと話したわずかの時間のあいだに、 パスパルトウは素早く、だが念入りに、未来の主人を観察していた。 年のころは40がらみ、顔立ちが上品でハンサム、 背が高く、わずかなふくよかさを損なうことなく、 髪も頰ひげもブロンドで、滑らかな額でこめかみにしわもなく、 顔色はやや青白くて、歯が立派だった。 骨相が、しゃべるよりは行動する人びとに共通の素質である「動中の静」と称するものを高度に身につけているように思われた。 平静で、おちついていて、眼が澄みきって、瞼も動かさず、 アンジェリカ・カウフマンがその学究的な有様を素晴らしい絵筆であらわした、イギリス人にしばしば見られる冷静沈着なイギリス人が獲得しているタイプであった。 彼の存在のさまざまな行為に見られるように、 この紳士は、すべての部分でバランスが取れており、正確に調整されたルロワやアーンショウの時計と同様に、完全に均整のとれた存在を思わせた。 実際、フィリアス・フォッグは正確さを人間化した存在だった。 このことは「彼の手足の表現」にあきらかに見てとれた。 なぜなら、人間においても動物と同じように、これらそのものがよく感情を表す器官であるからだ。

フィリアス・フォッグは何事にも正確であって、 決して急がず常に用意できていて、 歩行や動作に無駄がなかった。 けっして大股で歩かず、常にいちばん近い道をとおった。 大げさな動作はせず、感動したり度を失ったりするのを人に見せたことはなかった。 世界中でいちばん急がない人間だったが、つねに正確な時間にやってきた。 総じて、彼はひとりで暮らしており、だからあらゆる社会関係の外に生きていると理解することができた。 彼は俗世では摩擦は避けられないが、摩擦は遅延に繋がるので、他人と摩擦を起こすことはしなかった。

一方、パスパルトウと言われるジャンは、生粋のパリジャンだった。 祖国からイギリスに渡り、ロンドンで従者として働いていた5年間、 一身を任すべき主人を探していたが、なかなか見つからなかった。

パスパルトウは、肩を張って反りかえり、鼻を風に向け、人をくった冷たい眼で世間を見くだす、厚顔無恥な男ではなかった。 それどころか、非常に律儀な若者で、少し唇のつきだした、愛嬌のある顔をし、うまいものといい女はいつでも歓迎という男。 気立てがやさしく、世話好きで、 そんな顔が友だちの肩のうえにのっかっていたら、だれでも嬉しくなるような、人のいい丸ぽちやの顔をしていた。 眼が青く、肌の血色が良く、顔がふくよかで、自分の頰が見えるくらいだった。 それから、胸幅がひろく、体格ががっしりしており、筋骨隆々という格好で、 若いときからの鍛練が発達させた、ヘラクレスのような力をもっていた。 栗色の髪は少しごわごわしていた。 しかし、古代の彫刻家はミネルヴァの髪のとかし方に18の方法を知っていたというが、 パスパルトウはひとつの方法しか知らなかった。 櫛で三度かけば、それで髪の形ができたのだ。

この若者の明るい外向的な性格がフィリアス・フォッグの性格とうまく合うかどうかは、初心者には(判断を)許されない、慎重を要することだった。 パスパルトウはその主人が求める徹底的に正確無比の使用人だろうか? それは、これから使ってみなければわかるまい。 青年時代を放浪生活のうちに過ごしていたので、 彼はいま休息をもとめていた。 英国メソジズムと紳士の諺のクールさ​​が賞賛されるのを聞いた彼は、 英国に幸福を求めてやって来た。 しかし、それまでは運命が彼を悪い方向に向けていた。 どこにも根を張れなかった。 彼は10軒の家で仕えた。 それらのすべては、空想的で不平等な、冒険や田舎暮しに走る人たちであり、 もはやパスパルトウには似合わなかった。 最後の主人だった若いロングスフェリー卿は国会議員だったが、 毎晩ヘイ・マーケットの「牡蠣屋」で夜をふかし、よく警官の肩にすがってご帰館していた。 パスパルトウは何よりも、主人を尊敬できるようになりたいと考え、 何度か思いきって意見をしてみたが、悪く受け止められたので、辞職した。 その内に、フイリアス・フォッグ卿が使用人を探していることを耳にした。 その紳士の情報を得たところ、 生活は実に規則ただしく、外泊や旅行をしたことがなく、一日も家をあけたことがないと聞き、 これ以上彼に合うことはない思えた。 そこで、訪ねてきてみたところが、先に述べた経緯で雇われるようになったのである。

こういうわけで、11時半が鳴ったとき、 サヴィル・ローの屋敷にひとり残されることになった。 彼はすぐに屋敷のなかを見てまわった。 そして、地下室から屋根裏部屋まで、くまなく歩いてみた。 屋敷は清潔で、整頓がゆきとどき、厳かな邸宅を彼はすっかり気に入った。 彼にとってはかたつむりの殻のように居心地良く、 ガスの火で照らされ、温められる殻だった。 これは炭化水素が照明と熱の全ての要求を満たすからである。 パスパルトウは自分にあてがわれる部屋を三階に容易に見つけ出したが、それにも満足した。 電気の呼鈴と通話管とが、中二階や二階の部屋部屋へ通じており、 暖炉の上にフィリアス・フォッグ氏の寝室の時計と同一の電気時計があって、 二つの時計はおなじ時刻をきざんでいた。

「これは良い!これならいける!」とパスパルトウはつぶやいた。

彼はまた、自分の部屋の時計の上に注意書が張り付けてあるのに気づいた。 それは毎日の仕事のスケジュール表だつた。 午前8時、すなわちフィリアス・フォッグが毎朝きまつて床を離れる時刻から、午前11時半、すなわち彼が改革クラブで昼食をとるために家を出る時刻までの使用人の仕事がこと細かに記されていた。 8時23分にお茶と卜ースト、9時37分にひげ剃り用の湯、10時の20分前に髪の手入れなど。 さらに、午前11時半から深夜の12時、つまりこの几帳面な紳士が寝る時刻まで、一切の仕事が細かに記され、予想され、規則だてられていた。 パスパルトウはよろこんでその予定表をながめ、細目を頭にきざみこんだ。

フォッグ氏の衣裳戸棚は、あらゆる場合のものが全部そろい、驚くばかりに豊富だつた。 しかも、ズボンや上着やチョッキのひとつひとつに入荷された順の番号がついていたが、同じ番号が出入簿にも写されていて、季節に応じて、変わるがわる着用する日付が示してあつた。 履物についてもおなじ規則が定められていた。

要するに、 輝かしくはあってもシェリダンによって消耗されていた時代には無秩序の殿堂であったに違いないこのサヴィル・ローの屋敷の中は、 今では気持のよい家具をそなえつけ、ゆとりのある生活ぶりを示していた。 だが、書庫もなく、書物もなかつた。そういうものはフォッグ氏には不必要だつたろう。 なぜなら、改革クラブに二つの書庫があり、一方は文学、他方は法律と政治にわかれ、彼が閲覧することはできたからだ。 彼の寝室には中くらいの大きさの金庫が。 それは火災や盗難から守れる構造を持っていた。 家のなかにはただ一つの武器も、狩りや闘争の道具もぜんぜん。 ここにあるもの一切が、極度に平和を愛する習慣を物語っていた。

パスパルトウは屋敷のなかを隅々まで見てまわってから、両手をもみ、大きな顔をほころばせて、うれしげに繰り返した。

「これはいける! ここにおれの職場がある! フォッグ氏とおれとはお互いにぴったり気持が合うだろう! 旅行ぎらいで几帳面な男! まさに機械仕掛けのような人だ! 機械に仕えるのも、悪くはない!」


3

フィリアス・フォッグにとって高くつくかもしれない会話が交わされる点


(訳者要約: フォッグ氏は、80日間で世界一周が可能という自身の意見につき、仲間と賭けをする)

フィリアス・フォッグは11時半にサヴィル・ローの自邸を出て、 それから、右足を575回左足の前に出し、左足を576回右足の前へ出したあとで、 改革クラブへ着いた。 ポール・モール街に聳え立ち、建築費は3百万ポンドを下らない広大な建物だった。

フィリアス・フォッグはすぐに食堂へはいった。 その九つの窓は、すでに木立ちが秋を迎えて紅葉している、美しい庭に向かって開かれていた。 いつものテーブルに腰をおろすと、もうひと揃いの食器が彼を待っていた。 彼の昼食は、まず前菜からはじまり、 極上の「リーディング・ソース」で味をきかせた煮魚と、 「マッシュルー厶」を添えた、血のしたたるローストビーフ、 ルバーブの茎と緑のすぐりを詰めた菓子、 チェスターの一切れで構成されていた。 それには、改革クラブの食堂用にとくに精選された、すばらしいお茶が添えられた。

12時47分に、この紳士は立ち上がって、大きな応接室に向かって歩いた。 そこは立派な額縁におさめた絵画でかざられた豪奢な部屋であった。 すぐに、使用人がまだページを切ってないタイムズ紙を持ってきた。フィリアス・フオッグは新聞の折り目をのばしはじめたが、 この面倒な事に対する確実さは、彼がこの厄介な操作に十分慣れていることを証明していた。 彼はその新聞を3時45分まで読み、それから、次に渡されたスタンダード紙を読むのに夕食までかかった。 夕食は昼食とおなじ段取りでおこなわれたが、さらに「イギリス王室ソース」がそえられてあった。

6時の20分前になると、この紳士はふたたび大きな応接間に姿をあらわし、モーニング・クロニクル紙の閲覧に熱中した。

それから30分たつと、 改革クラブの会員がぞくぞくとつめかけてきて、 石炭の火の燃えさかる暖炉のそばに集まった。 それはフィリアス・フォッグのカード仲間で、彼と同様にホイストに夢中になっている連中だった。 すなわち、技師のアンドリューステュアー卜、銀行家のジョン・サリヴァンとサミュエル・ファレンティン、酒造家の卜ーマス・フラナガン、イングランド銀行の理事のひとりであるゴーティエ・ラルフ。 産業界と財界の大立者を会員に数えるこのクラブでも、金持かつ有数の人たちだった。

「ところで、ラルフ君、」と、卜ーマス・フラナガンが訊いた「あの盗難事件はどうなったかな?」

- 「まあ」と、アンドリュー・ステュアートが(口を出して)答えた「金は銀行の損だね。」

- 「だが、わしは、」と、ゴーティエ・ラルフが答えた「首謀者を捕縛できると期待しているよ。 いずれも腕ききの刑事がアメリカやヨーロッパのおもな港へ派遣されて、客の乗り降りをしらべることになっているから、あの男はとうていのがれられまい。」

- 「だが、盗賊の人相はわかっているのかね。」 と、アンドリュー・ステュアートが訊いた。

- 「第一、あれは盗賊じゃないよ。」 と、ゴーティエ・ラルフがまじめな面持ちで答えた。

- 「なに!紙幣で5万5千ポンド(137万5千フラン)も盗んだ男が、盗賊じゃないんだって?」

- 「そうだ。」 と、ゴーティエ・ラルフが答えた。

- 「職工かね?」 と、ジョン・サリヴァンが言った。

- 「モーニング・クロニクル紙は紳士風の男だと断定しているよ。」

こう答えたのは、他ならぬフィリアス・フォッグで、彼は身のまわりに山と積みかさねた新聞紙の波のなかから頭をあげた。 そして、フィリアス・フォッグは一同へ挨拶した。みんなも彼に挨拶をかえした。

いま問題になっている事件は、 イギリス王国のいろいろの新聞が熱心に議論していることだが、 3日前の9月29日に起こったのだった。 イングランド銀行の出納課長のタブレットの上に置いてあった、 5万5千ポンドという大金の札束が奪い去られたのだ

だれかが、そんな大金がやすやすと盗まれたのを不思議がったので、 副頭取のゴーティエ・ラルフは、 あのとき出納課長は3シリング6ペンスの入金を記入していたので、ほかのことに目をくばれなかったのだとだけ答えた。

ところで、ここにひとつ指摘しておいた方が良いことがある。 それは今度の事件を理解しやすくすることにもなるが、このイングランド銀行という立派な銀行はお得意の名誉を極端に重んじていたのだった。 それで、守衛もいず、退役軍人もいず、網格子もなかった。 金貨や銀貨や紙幣はむきだしで客の目の前にならべられてあり、だれでも勝手にさらって行くことができた。 つまり、そこへくるものの誠実さを少しも疑わなかったのだ。 イギリスの風習をよく観察してきたものが、こういう話をしたことがある。 ある日、彼がイングランド銀行の一室にいたとき、目の前に7、8ポンドの目方の金塊がおいてあったので、もの珍しさにその金塊をとりあげて、さんざんいじりまわしたあげく、暗い廊下の奥までもって行き、30分もたってから元の席へもどったが、 そのあいだ、出納課長は顔もあげなかったというのである。

しかし、9月29日には、ことは今の話と同じには運ばれなかった。 札束が戻らないので、 応接室の上にかけてあった立派な大時計が5時を打って、店をしめる時刻を知らせたとき、 イングランド銀行は5万5千ポンドの金を損益勘定へまわすよりほかに手がなかった。

そこで、盗難が正式に認められ、腕ききの刑事が選ばれて、リヴァプール、グラスゴ、ル・アーヴル、スエズ、ブリンディジ、ニューヨークなど、世界じゅうのおもな港へ派遣された。 うまくいった場合には、2千ポンド(5万フラン)の懸賞金と、取りもどした金額の5パーセントをあたえるという約束だった。 刑事たちはすぐに開始した捜索の情報を待つあいだ、 旅行者の到着と出発についてこまかく調査する任務をあたえられた。

さて、モーニング・クロニクル紙の報道するように、 窃盗の犯人はイギリスの盗賊たちのどの団体にも加わっていないかもしれないと推量するのは理を得ていた。 その9月29日の内に、 立派な服を着、態度物腰の立派な紳士が、 犯行のおこなわれた出納室を行きつもどりつしていたのが目撃されていたのだ。 そこで、捜査官はその紳士の結構正確な似顔絵を作ることができ、 イギリス国内や大陸に居る分別ある刑事達のもとへただちに送ったのであるが、 犯人はけっして法網をのがれられまいと信じるゴーティエ・ラルフもそのひとりだった

ご想像のとおり、この事件はロンドンをはじめイギリス全土の話題になっていた。 人びとは首都の警察の成功の可能性について論じあい、夢中になっていた。 だから、改革クラブの面々がおなじ問題を取りあげたとて別に不思議ではないし、 まして、会員のなかにイングランド銀行の副頭取がいたのだから、むしろ当然のことであった。

尊敬すべきゴーティエ・ラルフ氏は 懸賞金が刑事たちの熱意と知性をかなりかきたてる信じて、捜査の結果を疑いたがらなかった。 しかし、その同僚のアンドリュー・ステュアー卜はこの確信を共有するところからは遠かった。 かくて議論はホイストのテーブルに集まったこの紳士たちの間で続き、 ステュアー卜はフラナガンの前に、ファレンティンはフィリアス・フォッグの前に座った。 ゲームの間、プレイヤーはロをきかなかったが、 勝負の合間には、中断した講論が再燃した。

「ぼくが思うには、」と、アンドリュー・ステュアートがいった、「ことは賊のほうに有利にすすんでいくと思うな。きっと抜け目ない男にちがいないから。」

- 「とんでもない!」と、ラルフが答えた、「もうどんな国だって、やつの逃げこめるところはないよ。」 

- 「だって例えば!」

- 「じゃあいったい、どこへ逃げるというんだね。」

- 「それはわからんね。」 と、アンドリュー・ステュアー卜が答えた「だが、要するに、地球はかなり広いので。」

- 「昔はそうだったが…」と、フィリアス・フォッグが、低い声で言い、 それから、 「さあ、きみが切る番だよ、」と、卜ーマス・フラナガンに力ードを差しだしながらつけ加えた。

勝負のあいだ、議論が中断された。 しかし、やがて、アンドリュー・ステュアー卜がまたロをきって、

「なに、昔は広かったって? それじゃ、地球が縮まりでもしたのかね?」

- 「もちろんだよ。」 と、ゴーティエ・ラルフが答えた。  ぼくはフォッグ君の意見に賛成するな。 たしかに、地球は縮まったよ。なにしろ、今は百年前より十倍もはやい速度で移動できるんだからね。 だから、いまわれわれが議論している問題にしても、 捜索がずっと迅速にいくわけさ。」

- 「だが、 盗賊の逃亡も、それだけ容易になるわけじゃないか。」

- 「ステュアート君、きみの番だよ」と、フィリアス・フォッグがいった。

しかし、疑いぶかいステュアー卜は納得しなかった。そして一勝負つくと、

「ラルフ君、地球が縮まったなんて、とんでもない珍説をひねくりだしたものだね。 たとえ今じゃ地球一周が3ヶ月……」

- 「いや、たった80日でできるよ。」と、フィリアス・フォッグがロをだした。

- 「そりゃありうることだ。」と、ジョン・サリヴァンがつけくわえた。 ロタルからアラハバードまでの区間に『大インド半島鉄道』が開通して以来、80日で十分だよ。 ここにモーニング・クロニクル紙のたてた計算が出ているが、読んでみよぅか。

ロンドンからスエズまで、モンスニ峠およびブリンディジ経由。鉄道ならびに郵船で:7日。

スエズからボンベイまで、郵船で:13日。

ボンベイからカルカッタまで、鉄道で:3日。

カルカッタからホンコン(中国)まで、郵船で:13日。

ホンコンからヨコハマ(日本)まで、郵船で:6日。

ヨコハマからサンフランシスコまで、郵船で:22日。

サンフランシスコから、ニューヨークまで、鉄道で:7日。

ニューヨークからロンドンまで、郵船および鉄道で:9日。

総計:80日

- 「なるほど、80日になるね!」 と、アンドリュー・ステュアー卜が叫んだが、それに気をとられて、切り札を出してしまったりしていた  「しかし、悪天候や、逆風や、難破や、脱線なんかは 勘定に入らないのだろう。」

- 「いや、一切合切含めてさ。」 と、フィリアス・フォッグがゲームを続けながら答えた。 議論がホイストよりも熱してきだしたからだ。

- 「もしかしたら、インドの盗賊やアメリカ・インディアンが 線路を外すかも知れんぞ と、アンドリュー・ステュアー卜が叫んだ  汽車をとめたら、車両を襲って、頭の皮をひんむいたりするかもしれんぞ。」

- 「それも一切含めてだ。」と、フィリアス・フォッグがカードをほうりだしながら答え、「切り札二枚」とつけくわえた。

次はアンドリュー・ステュアー卜が切る番だったが、彼は力ードをあつめながら、こういった。

「理論的には、きみのいうとおりだが、実際には……」

- 「いや、実際にもさ、ステュアート君。」

- 「それじゃ、実際にやってみてもらいたいね。」

- 「御意のままさ。 いっしょに行こう。」

- 「とんでもない!」と、ステュアー卜が叫んだ。  「しかし、ぼくはそんな条件での旅行は不可能だってほうへ、4千ポンド(10万フラン)賭けるよ。」

- 「ところが、非常に可能なんだ。」と、フォッグ氏が答えた。

- 「よし、それじゃ、やってみたまえ!」

- 「80日間で世界一周をするわけだね?」

- 「そうだ。」

- 「よろしい、引き受けた。」

- 「いつ出かけるね。」

- 「いますぐでもいい。」

- 「そりゃ狂気の沙汰だ!」と、相手の執念ぶかさに怒りはじめたアンドリュー・ステュアートが叫んだ、 「さあ!ゲームを続けよう。」

- 「配り直してくれないか、」と、フィリアス・フォッグが答えた、「やり方がおかしいので。」

アンドリューはふるえる手で力ードを取りあげたが、急にそれをテーブルの上へ置くと、

« 「なあ、きみ、ぼくは4千ポンド賭けるよ。」

- 「ステュアー卜君、」と、ファレンティンがいった、 「まあ落ち着きたまえ。 どうせ冗談なんだから。」

- 「いや、ぼくは、賭けるというときには、いつも本気なんだ。」

- 「よし!」と、フォッグ氏がいった。 そして、友人たちの方へ向きなおって、

「ぼくはベアリング兄弟銀行に2万ポンド(50万フラン)の貯金がある。 その金をよろこんで睹けるよ。」

- 「2万ポンド?」と、ジョン・サリヴァンが叫んだ。 「なにか不慮の事故でおくれたら、2万ポンドがアウトになるんだぜ。」

- 「不慮の事故なんかないよ。」と、フィリアス・フォッグがこともなげに答えた。

- 「しかし、フォッグ君、新聞に書いてある80日というのは、最短の日数を言っているんだぜ。」

- 「いや、上手につかえば、それで十分だよ。」

- 「しかし、この日数を超過しまいとすると、汽車から郵船へ、郵船から汽車へと、それこそ文字どおり飛び移らなければならないよ。」

- 「そりゃ、もちろん、文字どおり飛び移るさ。」

- 「冗談じゃない!」

- 「いや、賭のような真剣なことが問題になっているときには、善良なイギリス人はけっして冗談をいわんよ。」と、フィリアス・フォッグが答えた。 「ぼくは80日あるいはそれ以内で、つまり1920時間ないし11万5200分以内で、ぼくが世界一周をすることを希望する人にたいして、2万ポンド賭ける、どうだ、承知かな、諸君?」

- この言葉に対し、ステュアート、フォレンティン、サリヴァン、フラナガンおよびラルフの面々は、たがいに相談したあとで、「承知した。」と、答えた。

- 「よし、ドーヴァー行きの汽車は8時45分に出る。 ぼくはそれに乗ろう。」

- 「今夜すぐに発つのか?」 と、ステュアートがきいた。

- 「そうだ。」と、フィリアス・フオッグが答えた。 そして、ポケットカレンダーを調べて、「ところでと、今日は10月2日水曜日だから、12月21日土曜日の午後8時45分までに、ロンドンのこの改革クラブへもどってくるべきなんだな。 さもなければ、いまぼくの名義でベアリング兄弟銀行へあずけてある2万ポンドは諸君のものになるのだ。 - さあ、2万ポンドの小切手を渡しておくからね。」

賭の契約書がつくられ、すぐに6人の利害関係者によって署名された。 フィリアス・フォッグは落ち着きはらっていた。 彼はもちろん金儲けのために睹をしたのではなかった。 全財産の半分にあたる2万ポンドの金を賭けたのは、 実現不可能とは言わないまでもきわめて困難なこの計画を遂行するには残りの半分が必要になるかも知れないと予期したからだ。 ところが、相手はみんなひどく動揺していた。 それは賭の金額が大きかったからではなく、 こういう条件で争うことにうしろめたさを感じたからだ。

そのとき7時が鳴った。 一同はホイストの勝負を中止して出発の準備をしたほうがよいとフォッグ氏に勧めた。

「ぼくはいつも準備ができているよ!」と、この冷静な紳士は答え、さらに力ードを配りながら

「ぼくはダイヤだぜ。」と、言った、 「さあ、ステュアート君、きみの番だ。」


4

フィリアス・フォッグが使用人のパスパルトウを驚かせる件


(訳者要約: フォッグ氏は、自ら始めた賭けを検証するために、パスパルトウを連れて世界旅行に出る)

7時25分になると、フィリアス・フォッグはホイストで20ギニーほど勝ってから、 尊敬すべき同僚たちと別れ、改革クラブを出た。 それから、7時50分には、自分の屋敷のドアをあけて、家に入った。

パスパルトウは仕事の予定表を丹念に暗記していたので、 フォッグ氏が、不正確の罪をおかして、そんな思いがけない時刻に現れたのを見て、かなりおどろいた。 注意書によれば、サヴィル・ローの主人は真夜中の12時に帰宅するはずだった。

フイリアス・フォッグはすぐに自分の部屋へあがっていき、それから呼んだ。

「パスパルトウ。」

パスパルトウは返事をしなかった。 彼が呼ばれているわけはないと考えたのだ。 そんな時刻ではないから。

フォッグ氏は格別声も高めずに、もぅ一度「パスパルトウ」と呼んだ。

そこで、パスパルトウは降りていった。

「二度も呼んだぞ。」と、フォッグ氏が言った。

- 「でも、まだ真夜中ではありません。」と、パスパルトウは時計を手にして答えた。

- 「それはわかっている。」と、フィリアス・フォッグが言った、「だから、別におまえを責めているわけではない。 だが、わたしたちは10分後にドーヴァーからカレーへ向かって出発するんだ。」

このフランス人のまる顔がある種、渋い顔になった。 きっと良く聞こえなかったにちがいない。

「ご旅行をなさるのですか」と、彼はきいた。

- 「そうだ。世界一周に出かけるのだ」と、フィリアス・フォッグが答えた。

パスパルトウは、眼をとんでもなく大きく開き、 瞼と眉をつりあげ、 両腕をだらりとたらし、 全身の力が失せて、 まさに茫然自失にまでおしすすめられた驚きの徴候の全てをあらわした。

「世界一周ですか。」と、つぶやいた。

- 「80日間でな。」と、フォッグ氏が答えた、 だから、一秒も無駄にできんのだ。」

- 「で、お荷物は?」と、パスパルトウは無自覚のうちに頭を左右へぐらぐらゆすりながらきいた。

- 「荷物は要らん。 スーツケースがひとつあればいい。 それに毛のシャツ2枚とスリッパを3足いれろ。 おまえの分もそれだけでいい。 ほかのものは途中で買おう。 わたしのレインコー卜と旅行用の毛布をおろしてくれ。 丈夫な靴をはいて行けよ。 もっとも、わたしたちはほとんど歩かんがな。 それでは、急げ。」

パスパルトウはなにか返事をしようとしたが、できなかった。 そして、フォッグ氏の部屋を出て、 自分の部屋へあがって行き、 がっくりと椅子に腰をおとすと、 かなり下品なお国言葉をつかって、

「まあいいさ、」と、大きい声で言った。  「そいつは。俺は安穏に暮らしていこうとしていたのに!…」

それから、機械的に出発の準備をはじめた。 80日間で世界一周だなんて! 旦那さまは気が違ったのではあるまいか? いや!きっと冗談なのだ。 ドーヴァーへ行くんだって?それもよかろう。 カレーへ行くのも、文句はない。 とにかく、 5年前から祖国の土を踏んだことのない、この善良な若者を、それはたいして不愉快にさせることではなかった。 たぶん、パリへも行くかもしれない。 そうしたら、あのなつかしい大都会をもう一度楽しめるというものだ。 なにしろ足数まで儉約する主人のことだから、きっとパリにとどまるにちがいない… そうだ。それにちがいない。しかし、ともかく、 今まであんなに出不精だったあの紳士が、旅に出て、他国へ行くことにしたというのは嘘みたいだ

8時になると、パスパルトウは 自分と主人の衣類を詰めた小さなトランクの用意を済ませた。 それから、まだおちつかない気持のままに、 自分の部屋を出て、 ドアを念入りにしめ、 フォッグ氏の部屋へいった。

フォッグ氏はもう準備をととのえていた。 今度の旅行に必要な指示を与えてくれるはずの『ブラッドショーの大陸鉄道時間表と一般案内記』を手にしていた。 それから、パスパルトウの手からスーツケースをとると、 それをあけて、 世界のどの国でも通用する、あの立派な札束をすべりこませた。

「なにも忘れものはないかな。」 と、彼はきいた。

- 「なにもありません。」

- 「わたしのレインコー卜と毛布は?」

- 「ここにあります。」

- 「よし、それでは、スーツケースをもってくれ。」

フォッグ氏はスーツケースをパスパルトウに返して、

「気をつけてくれよ。このなかには2万ポンド(50万フラン)の金が入っているんだから。」と、言った。

すると、スーツケースは、 その2万ポンドが金貨で、えらい目方でもあるかのように、あやうくパスパルトウの手からずりおちそうになった。

それから、主人と使用人は下におり、 街路に向かったドアは二重鍵で閉じられた。

サヴィル・ロー街のはずれに、辻馬車のたまり場があった。 フィリアス・フォッグと使用人は馬車にのって、チャーリング・クロス駅へいそがせた。 そこから「南東鉄道」の支線が出ていたのだ。

8時20分に、馬車は駅の柵の前にとまった。 パスパルトウは下に飛びおりた。 主人もつづいて飛びおり、御者に金をはらった。

そのとき、 子供の手をひき、泥のなかへ素足をつっこみ、羽根飾りも哀れげにたれたみじめな帽子をかぶり、ぼろ着にぼろぼろのショールをかけた女乞食が フォッグ氏のそばへきて、施しを求めた。

フォッグ氏は、さっきホイストでもうけた20ギニーの金をポケットから出して、女乞食にやりながら、

「さあ、これをあげよう。おかみさん、ちょうどいいところだったよ。」 と、いった。

そして、そのまま通りすぎた。

パスパルトウは眼がしらがうるむような気がした。 主人はこの慈善により彼の心中に 一歩踏みこんだのだった。

フォッグ氏と彼とはすぐに駅の大きな広間へはいっていった。 そこで、フィリアス・フォッグは パスパルトウにパリまでの一等切符を二枚買えと命じた。 それから、ふりかえって、改革クラブの5人の同僚の姿をみとめ、

「みなさん、行ってまいります。」と、言った、 「皆さんが承認された結果のためにぼくの持っていくパスポー卜に各国の査証をはりつけてきますから、帰国後ぼくの行程を審査していただくために、」

- 「いや、フォッグさん、」と、ゴーティエ・ラルフがていねいに言った、「それにはおよびません。わしらはあなたの紳士としての名誉を信頼しますよ。」

- 「そうしていただければ、好都合です。」 と、フォッグ氏が言った。

- 「とにかく、帰ってこなければならんてことをお忘れにならんようにな。」と、アンドリュー・ステュアートが意見を言った。

- 「さよう、80日後に、」と、フォッグ氏は答えた、「つまり1872年12月21日土曜日の午後8時45分にな。 また会いましょう、みなさん。」

8時40分に、フィリアス・フォッグと使用人とは同じ区画に席をとり、 8時45分に、汽笛一声、列車は動きだした。

その晩は真っ暗だった。 そして、こまかい雨が降っていた。 フィリアス・フォッグは片隅によりかかって、ものもいわなかった。 パスパルトウはまだ呆然として、紙幣のはいったトランクを機械的に抱きしめていた。

しかし、列車がシドナムを通過するかしない時分に、パスパルトウが真にせまった絶望の叫びをあげた。

「どうしたんだね。」 と、フォッグ氏がきいた。

- 「実は……その……あんまり急いだものですからつい、……忘れてきたんです。」

- 「何を?」

- 「わたしの部屋のガス灯を消すのを!」

- 「そうか、それでは、そのガス代はおまえが払うんだな。」フォッグ氏が冷やかに答えた。


5

ロンドンの市場に新手の相場が出現する件


(訳者要約: フォッグ氏の行動は、ロンドンに相場ができるほど有名になるが、氏の旅立ちに先立って起きた銀行での窃盗事件に関連し、氏を疑う者も現れる)

フィリアス・フォッグは、ロンドンを出発するにあたって、自分の出発がどんなに大きな反響をひきおこすか、ぜんぜん考えてみなかったにちがいない。 しかし、賭の噂はまず改革クラブのなかにひろまって、この名誉あるクラブの会員たちのあいだに心からなる感動を生み出した。 ついで、噂は新聞記者をとおして新聞社につたわり、新聞社からロンドンの市民たちへ、さらにイギリス中に知れわたった。

この《世界一周の問題》は、《アラバマ号》事件と同様に激しい情熱をもって解説され、論議され、解剖された。 ある者はフイリアス・フォッグに味方したが、他の者は(そのほうが大多数を占めるに至ったが)彼の企てに反対した。 単に理論や机上の計画ではなく、現実に走っている交通機関だけをつかって、そういう最短時間内に世界一周を完了するということは、単に不可能というだけでなく、まったく狂気の沙汰だというのが、後者の議論だった。

タイムズ、スタンダード、イヴニング・スター 、モーニング・クロニクル、その他20ばかりの大新聞はフォッグ氏の企図に反対の声明をした。 ただデイリー・テレグラフだけが、ある程度、彼を支持したにすぎなかった。 フィリアス・フォッグは一般から奇人狂人として扱われ、そんな賭を承知した改革クラブの同僚たちは、精神能力の低さを告発する反対者からの非難をあびた。

やがて、この問題について、極度に激烈だが論理的な記事がぞくぞくとあらわれた。 地理に関する万般のことにたいして、イギリスにおいて人が持つ興味(の程度)は、人の知るとおりである。 したがって、階級の上下を問わず、フィリアス・フォッグの事件をとりあつかった新聞記事をむさぼり読まない読者はひとりもいなかった。

はじめの数日間、奇抜な事件を好む人びと - とくに女たち - はイラストレーテッド・ロンドン・ニューズが改革クラブの文庫にあったフォッグ氏の写真の複製をのせて以来、彼の企図を熱心に支持した。 ある紳士たちは「へっへっ、なぜいけないんだね、けっきよく? わしらは途方もないことを、いくらも見てきたじゃないか。」 とさえいった。それはとくにデイリー・テレグラフの読者たちだった。 しかし、やがて、当のデイリーテレグラフすら論調があやふやになってきた。

ついに、10月7日の王室地理学会の会報に長い論文があらわれた。 その記事はこの問題を八方から検討して、フォッグ氏の企図の不条理をあきらかに示した。 それによると、人間による障害、自然による障害など、一切がこの旅行者に不利であった。 この企図に成功するためには、出発と到着の時間の奇跡的な調和がなければならないが、そういう調和は存在せず、また存在しえないものだった。 実際に、列車の走行距離が比較的短い、良く管理された場所やヨーロッパでは、列車が定められた時刻に到着することも期待できる。 しかし、インドを三日間で横断し、アメリカ合衆国を七日で横断するというが、はたして、そうした見積もりが確実な計画にもとづいているのかどうか。 機械の故障もあろう。脱線もあろう。衝突もあろう。悪天候や積雪もあろう。すべてがフィリアス・フォッグに不利ではないか。 汽船についても、冬のあいだは、風や濃霧に左右されないだろうか。 大洋横断の もっとも優秀な汽船でも、二日や三日のおくれをだすことがまれではないではないか。 ところが、一回のおくれだけで、鎖のように組みあわされた乗物のスケジュールが全部みだれて、とりかえしのつかないものになる。 もしもフィリアス・フォッグが、たとえ数時間でも、汽船の出発におくれれば、 つぎの便船を待たねばならず、それだけでも彼の旅行はとりかえしのつかない打撃を受ける。

この論文は非常な反響をまきおこした。 ほとんどすべての新聞がこれを転載し、そのために、フィリアス・フォッグの人気はまたたくまに地に落ちてしまった。

この紳士が出発した後の数日間は、彼の企図の成否について、相当高額の睹がおこなわれた。 イギリスの賭ずきの連中がどういうものであるかは、よく世間に知られている。彼らは賭博者たちよりもずっとインテリで、身分が高い。 賭けるということは、イギリス人の気質のなかにある。 したがって、改革クラブの意見を異にする会員たちがフィリアス・フォッグの企図の成否に対して巨額の金を賭けたばかりでなく、 一般の民衆もこの流行にまきこまれた。 フィリアス・フォッグの名は競馬の馬のように、一種の血統書のなかに書きこまれた。 しかもまた、その賭の証書が証券としての価値をうみ、すぐにロンドンの株式市場に上場された。 フィリアス・フォッグ株は現物および先物としてさかんに取引され、取引高は相当な金額にのぼった。 しかし、彼が出発してから五日目に、例の地理学会誌の論文が発表されると、売物が殺到した。 フィリアス・フォッグ株は下落した。 人は十把一絡げで扱うようになった。 最初のうちは五枚、十枚だったが、後には二十枚、五十枚、百枚の単位でなければ扱われなかった。

しかし、依然として彼の味方をするものがひとりだけいた。 それはアルバーメール卿という中風病みの老人だった。 この高貴な紳士は椅子に釘づけになっていたが、たとえ十年かかっても世界一周ができたら、全財産をなげうっても惜しまなかったろう。 彼はフィリアス・フォッグを支持して4千ポンド(10万フラン)を賭けた。 人がフォッグ氏の企図のばからしさを教えると、老人はこう答えた。 「もしもこの事業が可能なことなら、その先鞭をつけたものがイギリス人なのがうれしいではないか!」

こういうわけで、フィリアス・フォッグの味方はますます少なくなっていった。 人びとは、当然のことながら、彼に反対した。 その割合は1対150から1対200にもなった。 ところが、彼の出発後7日にして、まったく思いがけない事件が突発し、もはや彼を問題にするものがぜんぜんなくなった。

実際、その日の夜九時に、警視庁長官は次のような電報を受け取った。

『スエズ発、ロンドン宛

スコットランド ヤード、警視総監ローワン殿

本官は銀行窃盗犯人フィリアス・フォッグを尾行す。

至急ボンベイ(英領インド)へ逮捕状をおくられたし。

            刑事フイツクス』

この電報の効果はきわめてはやかった。 名誉ある紳士はたちまち銀行窃盗犯にかわった。 改革クラブのすべての会員の写真とともに保管されていた彼の写真が調べられた。 それは捜査本部が配布していた犯人の人相とそっくりだった。 人びとはフィリアス・フォッグの生活が奇妙で、まったく孤独であったことや、彼のあわただしい出発などを思いあわせた。 そして、この人物が世界一周をいいだし、途方もない賭をしたのは、イギリスの警察官の追跡をはぐらかすための手段にちがいないと信じた。


6

捜査官フィックスが非常に正当な焦りを示す件


(訳者要約: 窃盗事件の捜査でスエズに派遣されていた刑事フィックスがフォッグ氏を疑って逮捕状請求の電報を打った理由: フォッグ氏のパスポートを人相画と比較し、怪しいと思い始めた)

さて、どんな状況のもとに、フィリアス・フォッグ氏に関するこのような電報がうたれるにいたつたのだろうか。それは以下のとおりである。

10月9日水曜日の午前11時、スエズでは、商船モンゴリア号の入港が待たれていた。 これは、半島東洋会社が所有する、 スクリュー式軽甲板の鋼鉄製蒸気船で、 2,800総トン、 500定格馬力を誇っていた。 このモンゴリア号は、定期的にブリンディジ(イタリアの都市)からスエズ運河をへてボンベイへ航行していた。 この会社が所有する最速船の一つであり、規定速度はブリンディジ - スエズ間で、時速10ノット、スエズ - ボンベイ間で 9.53ノットだが、いつもそれを上まわつていた。

かつてはさびしい村落だつたもののレセップス氏の偉大な事業によって洋々たる将来が保証されていたこの町の、土着人や外国人の人ごみの中の波止場を、モンゴリア号が到着する前の時間、ふたりの紳士がぶらついていた。

ふたりの紳士のうちのひとりはスエズ駐在の英国領事で - イギリス政府の悪意にみちた予測やスティーブンソン技師の不吉な予言にもかかわらず - 毎日イギリスの船がこの運河を通り、そのおかげてイギリス—インド間の航路を喜望峰まわりより半分にまで短縮しているのをながめていた。

もうひとりはやせて貧相な男で、かなり聡明らしい神経質な顔をし、眉毛の下の筋肉をたえずぴくぴくひきつらせていた。 長いまつ毛の下から、非常に鋭い眼がひかっていたが、彼は思うままにその激しさを消すことを知っていた。 そのとき、彼はなにかいらいらしているようすで、ひとつところにじっとしていられず、しきりに行ったりきたりしていた。

この男はフィックスといい、イングランド銀行の事件以来、各地の港へ派遣されたイギリスの刑事のひとりであった。 そのフィックスはスエズを通るすべての旅行者を入念に監視し、もしもあやしいものがあったら、逮捕状のくるまで尾行してゆく任務をあたえられていた。

ちょうど、その二日前に、彼は本国の首都の警視総監から窃盗の嫌疑者の人相書を受け取っていた。 それは銀行の出納課で見かけた、あの立派な服を着た上流紳士の人相書であった。

刑事は成功した場合の大きな懸賞金に夢中になっているらしく、見るから待ち遠しげにモンゴリア号の到着を待っていた。

「領事さん、船は延着しないとおっしゃいましたね。」 と、彼は領事にきいたが、この質問はもうこれで10回目だった。

- 「その通りですよ。フィックス君。」 と、領事が答えた  「きのう、ポートサイドの沖を通過したという通信があったから、運河の160キロぐらい、あの快速船にはものの数ではありませんよ。 政府は規定の所要時間より24時間はやく着いた船には、どれにも25ポンドの賞金をだしているが、モンゴリア号はその賞金をいつも取っているんですからね。」

- 「あの船はブリンディジからまっすぐにくるんでしたね。」 と、フィックスがきいた。

- 「そうです。ブリンディジでインド向けの貨物を積んで、土曜日の午後5時に出帆したのです。 だから、辛抱するんですな。遅れることはないでしょう。 だが、たとえ犯人がモンゴリア号に乗っているとしても、あなたの受け取った人相書だけで見わけられるかどうか、あぶないものですな。」

- 「領事さん、ああいう連中は見わけるよりもかぎわけるんですよ。 必要なのはそのかぎわける能力でしてね。これは、聴覚と視覚と嗅覚の協力する特別の感覚です。 わたしは、今までに、ああした紳士を何人もつかまえましたよ。だから、もしも例の犯人が船に乗っていたら、きっとわたしの手からのがれることはできますまい。」

- 「ぜひともそう願いたいものですね。なにしろ大それた泥棒ですからね、フィックスさん。」

- 「大泥棒ですよ。 5万5千ポンドですからね と、刑事が興奮して答えた。 われわれにも、こうした授物はめったにありません。 泥棒もだんだん小粒になりましたからな! 凶賊シェパードの仲間はまったく少なくなり、今じゃ5、6シリングの盗みでつかまるようになりましたよ。」

- 「フィックスさん、お話をきいていると、ぜひあなたに成功させたいと願わずにいられませんな。 しかし、くりかえして申しますが、今の情勢では、どうやら難しいようですな。 あなたの受け取った人相書では、相手は立派な紳士のようじゃありませんか。」

- 「領事さん。」 と、刑事は確信ありげに答えた 「大泥棒ってものはいつも立派な紳士をよそおっているものですよ。 だから、無頼漢の人相をしているやつらは、つとめて正直にしていようと決心しなければなりませんよ。さもなければ、すぐにとっつかまってしまいますからね。 だが、紳士面をしているやつらこそ、面の皮をひんむいてやらなければならないのです。 むずかしい仕事だってことは、わたしも認めます。今度の仕事なんか、もう職業ではなくて、芸術ですよ。」

ご覧のとおり、フィックスという男はなかなか己惚れのつよい男である。

そのうちに、波止場はだんだんざわついてきた。 世界各国の水夫や商人やブローカーや人足や農民などが群がってきた。 汽船がまもなく入港するにちがいない。

天気はかなりよかったが、風が東なので、空気がつめたかった。 いくつかの回教の塔が太陽の青白い光を受けて、町の上にうかびでていた。 南のほうには、二千メートルにおよぶ長い防波堤がスエズの湾の上に腕のようにのびていた。 紅海の表面には、幾つもの漁船や内航船がゆれていた。そのなかには古代のガリ船の優雅な型のままのものもあった。

群がる人びとのなかを歩きながら、フィックスは職業上の習慣で、すれ違う連中の顔を素早く観察していた。

そのとき、時刻は10時半だった。

彼は港の大時計の鳴るのをききながら、「船は来ないんじゃないですか!」 と、叫んだ。

- 「もう遠くはないでしょう」と、領事が答えた。

- 「スエズにはどのくらい停泊するのですか?」 と、フィックスがきいた。

- 「4時間。 石炭を積みこむ時間だけですよ。 スエズから紅海のはしのアデンまでは 1,310海里あるから、燃料を用意する必要があるのです。」

- 「で、この船は、スエズからボンベイまで直航するのですか?」

- 「直航します。荷おろしをせずにね。」

- 「してみると、もし泥棒がこの道をえらび、この船へ乗ったとすると、きっとスエズでおりて、オランダ領かフランス領へ逃げこむために、別の道をとろうと計画するにちがいありません。」 インドはイギリス領だから、インドへ行くのは危険だと承知しているでしょうからね。」

- 「大胆不敵な男でなければ、そうするでしょうね。 しかし、イギリスで罪をおかしたものは、外国へ逃げるよりもロンドンにひそんでいるほうが安全だと思いませんか?」

こういう感想をのべると、領事はすぐ近くにある事務所へ戻っていった。 ひとり残された刑事は、泥棒はやっぱりモンゴリア号に乗っているにちがいないという奇妙な予感と共に、神経質な焦燥に駆られた。 事実、泥棒が新世界へ逃げようという意図をもってイギリスを脱走したなら、大西洋へ向かうよりも、警戒がで困難なインドを経由する道を選ぶにちがいない。

フィックスにはこのようなことばかりいつまでも考えている暇はなかった。 やがて汽笛が汽船の到着を知らせた。 ポーターや野郎たちの大群が、 乗客の手足や衣服が少し心配になるほどの騒ぎの波止場へと突進した。 約10隻のカヌーが岸から離れ、モンゴリア号の前に出てきた。

まもなく、モンゴリア号の巨大な船体が運河の岩壁のあいだを進んでくるのが見えた。 汽船が排気管から蒸気を吹きだしながら停泊場所にいかりをおろしたとき、11時が鳴った。

乗客の数はかなり多かった。 あるものは甲板にとどまって、町の美しいパノラマをながめていた。 が、大部分はモンゴリア号へ漕ぎよせた小船に乗りうつった。

フィックスは上陸してきた船客をひとりびとり詮索した。

そのとき、ひとりの男が うるさくつきまとう乞食たちをあらあらしく押しのけて、彼のそばへ近づいてきた。 そして、ていねいに、イギリス領事館を教えてほしいといった。 それと同時に、その男は一通のパスポートを差しだした。もちろん、英国の査証をきちんと捺してもらいたかったのだ。

フィックスは何気なくそのパスポー卜を手にとって、すばやく特徴欄を読んだ。

その途端、彼ははっとして、あやうく声を出しそうになった。 パスポー卜が彼の手のなかで震えた。 そこに書いてある人相がロンドンの警視総監がおくってよこした人相書とぴったり符合したからだ。

「このパスポー卜はあなたのじゃありませんな。」 と、彼はその乗客に訊いた。

- 「ええ、」と、この者は答えた、「主人のです。」

- 「で、ご主人は?」

- 「船の上で待っています。」

- 「だが、」と、刑事は答えた、「本人であることを確認してもらうために、ご主人が自分で領事館へ出頭しなければなりませんよ。」

- 「へえ!そんな必要があるんですか?」

- 「不可欠です。」

- 「で、事務所はどこにあるのです?」

- 「向うの、広場のはずれです。」 と、刑事は2百歩ばかりはなれた建物を指さして答えた。

- 「それでは、主人を呼んできましょう。だが、主人はさだめし億劫がるでしょうな。」

その乗客は、こういうと、フィックスに礼をいって、船へとってかえした。